旅に行くとき、準備の初期の段階で手にするのが「メモ帳」。
2泊以上の旅なら旅日記をつけたいし、泊まったホテルの部屋の家具の配置を書き記したり、
駅に無造作に置いてあるスタンプをおしたり、買ったもののレシートなんかも貼りつけてしまったりする。
(もっとも、このレシート、感熱紙が多いから3年もすれば消えてしまうのだけれど)
そしてたいていのメモ帳は旅の間にうまることはまずないので、
家に帰ったらちょっと読み返して棚に直行。
またその場に行くのでもない限りお役ごめんだ。
でもイギリスのメモ帳だけは別。
旅だけで3回も行っているので、その都度、このメモ帳も必ず一緒に旅だつことになる。
メモ帳の中身は、成田空港までの行き方、持っていくもの一覧表(つめこんだら横に線をひいて消してある)、ヒースロー空港についたらまずはどこへ行くか、その経路、絵ハガキを出すため友達の住所、飛行機の中で書いた旅程、ちょっと思ったことなど。
3回の旅のアウトラインがかすかながら見てとれる。
そのメモ帳のいちばん最初に、わけのわからない英文が数ページにわたって連なっている。
"I'm gonna eat up all if it is a little old.
Oh darlin, who are you, getthing the truth.
I'm gonna show by any hurtful way if you doubt me.
Oh darlin, I'm so fool to give you something important..."
最初のイギリスひとり旅に出る前に書きつけたもののようだ。
しばらく読んで、あ、と気づいた。
ミスチルの歌詞だ。
名もなき詩。
「ちょっとぐらいの汚れ物ならば/残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰/真実を握りしめる
君が僕を疑っているのなら/この喉を切ってくれてやる
Oh darlin 僕はノータリン/大切なものをあげる…」
このイギリスひとり旅にはちょっと意味があった。
職場で同僚からちょっとした(とも言えない。ひどかった)いじめにあい、情緒不安定になって、上司から1ヶ月の休職処分を言い渡されたのだ。
くやしくて、頭にきていて、不公平だと思って上司を逆恨みしたり、でもそれも理不尽だとわかっていて、自分を責めて、もうめちゃくちゃだった。
逃げ場を求めた。3日間、部屋にひきこもって、さまよって、たどりついた逃げ場、それがイギリスだったのだ。
そのときに英語力を確かめる意味もあって、たぶん辞書はいっさい使わず、この詩を英訳してみたのだろう。
(そのことは、「この喉を切ってくれてやる」が「I'm gonna show by any hurtful way」と
湾曲的に訳されていることからわかる)
でも、なぜこの曲を選んだのだろう。
旅だちに際して書きとめるなら、「終わりなき旅」の方がしっくり来る気がする。
でも今、「名もなき詩」の歌詞をよく読めば、なんでこの曲にしたか、わかるような気がする。
"as you hope to live yourself, you and I will get hurted.
If you try to run away from the prison that you made yoursel,
and others think that is what you are,
everyone is the same,
I'm quite the same."
「あるがままの心で生きようと願うから/人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ」
たぶん私は許したかった。
今は許せないいろんな人やものごとを許したかった。
そういう感情にしばりつけている自分自身を脱ぎ捨てたかった。
ひとりで悶々としているけれど、みんな、それぞれの場での苦しみがあって、その苦しみが糧となっているように、私の苦しみもまたむだじゃないと思いたかった。
自分らしさで苦しむなら、しょうがないじゃないか。
あきらめではなく、希望をもって、そう確信したかったから、逃げ場にこの詩を持ち込んだのだと思う。
聖書を持ち歩くように。
今度イギリスに行くときも、このメモ帳を持っていく。
今でもそうだから。
いつでも自分であることの苦しみに押しつぶされそうだから。
そうなったら、このメモ帳を開く。
希望をもっていた自分を思い出すために。